滝谷便りno.29

 

no.29は恒文社発売の「新潟発」田舎暮らし滝谷からに掲載されたものです。)

  2004.1.1

月兎庵・庵主 中矢澄子

 囲炉裏の端で」

 私の生家は、今どき持てはやされている町屋づくりの商家。聞くだけでは、ちょっとカッコ良さそうに思われるかも知れないが、これが中々の代物。 私の子供時代で既に100年は越えていたから、冬ともなると絶えず冷たい隙間風が入って来た。 でも、店先には石炭で焚く大きなだるまストーブと店先に続く上りがまちの茶の間には、火鉢と炬燵があった。 夕方、遊びに夢中になって、かじかんだ足を引きずって家に帰ると、先ずは赤々と燃えただるまストーブが待っていてくれた。しばし凍えた体をだるまストーブの脇で温め、食後は炬燵に入って蜜柑を食べる。そして、食べ終わる頃に、やおら母が私の小さくなったセーターを取り出して来て解(ほど)きだす。解(ほど)いた毛糸を、火鉢にかけた鉄瓶の湯気で伸ばしては糸を足して、成長した私の体に合わせてセーターを編み直し始める。その傍らでは、父が子供達のソリや竹スキーの修理を始めると言った具合だった。そんな両親の姿を眺めながら、のんびりと過ぎて行く時間が子供心に好きだった。 いつしか、私も見よう見まねで、母から余り糸やハギレをもらってキューピー人形の服を作ったり、父から板キレをもらい本箱を作ったりした。

 

最近のマイ・ブーム。古代布で作った兎。

あれから数十年。花の仕事をするようになった私は、滝谷に花の試験栽培の農園を造り始めた。そして、新潟から車で一時間余り掛けて滝谷に通っている内に山里の集落の佇まいに惚れ込んで130年の農家を購入し、 月兎庵 ( げっとあん ) と名付けてアトリエにした。これを知った友人知人は、皆一様に羨望の眼差しを向けた。 が、台所の床は落ちて天井は一部雨漏りし、永らく住んでいない家はあちこち傷んでいた。古民家で暮らすには、思いのほか手間と暇とお金が掛かることに気が付いたが、後の祭り。購入時に、ほとんど貯金をはたいてしまっていたので、頼れるのは自分の根気と手。「親の手仕事を見て育った自分だもの、きっと出来るはず」と、自分を励ましながら少しずつ自分好みに仕立てて行った。すると部屋の味気ない照明が気になりだした。

ある時山遊びに出掛けると、目の前のフジ蔓が目に入って来た。ピ〜ンとひらめいた。以前から籠を編んだり、リースを作ったりしていたから蔓には馴染みがあった。これに和紙を貼って家の照明を作ろうと思い立った。試行錯誤でひとつ仕上げてみると、蔓が持っている不思議な魅力にとりつかれ、また、同じ物が二つと出来ない面白さに惹かれて次々作った。 今では県内や東京で「あかり」の個展を開き、今までに作った「あかり」は優に100点を越えた。

                                                  

                       蔓と和紙で創った「あかり」                  雪の降り積もった夜、月兎庵の前庭であかりを灯して。

子供の頃から手仕事が大好きな上に、何にでも好奇心を発揮し、おまけに在り来たりのものでは満足しない性格は、大人になって益々磨きが掛かってきた。だから骨董市に繰り出せば、人が見向きもしないようなガラクタを買い、粗大ごみの中で素材になりそうな物を見つけては、拾い集めると言った具合で、月兎庵を構えてから益々拍車が掛かって来た。中でも古代布は、既に箪笥からはみ出しているが、収集欲が衰えず、久方ぶりに針を持つことにした。

初秋から晩春までは月兎庵の囲炉裏には炭が入り、自在鍵には祖父から父に、そして私に伝えられた鉄瓶が吊るされ、チンチンと音を立てながら湯気を立てている。 赤々と燃える炭を見つめ、ゆらゆらと昇っていく湯気を眺めながら、針を持つ手を動かしていると、ふっと子供の頃の自分や今は亡き両親と対話していたりする。 そうだ!間もなくニューヨークから娘が休暇で帰って来る。その時は囲炉裏の端で久々に母娘で針仕事を楽しもう。

囲炉裏の端では、一人静かな時間が流れる。

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