滝谷便りno.28

 

no.28は恒文社発売の「新潟発」田舎暮らし滝谷からに掲載されたものです。)

  2003.10.8

月兎庵・庵主 中矢澄子

思い出の味に挑戦

   母が重そうな板と大きな麺棒を持ち出してきた。やおら父が、その板に先程こね鉢でこねた蕎麦の玉を手際よく伸ばし、トントントンと細長く切っていく。見る見る間に蕎麦ができあがる。これが私の実家の年越し風景であった。食通の父は自ら包丁を握り料理を振舞うのが何よりの楽しみで、私達兄弟は父の作った年越し蕎麦を、紅白歌合戦を見ながら食べるのがとても楽しみだった。

 その後、家庭を持って大晦日を迎える度に、一応は年越し蕎麦を食卓に出してはいるが、悲しいかな既製品。その上、新潟の蕎麦はふのりの繋ぎで、喉越しが良過ぎて自分にはしっくり来ない。

「よっしゃー、それなら自分で作ってみよう!」。滝谷で畑仕事をするようになって3年目だった。

早速、自称「蕎麦奉行」と名乗っている樋口さんに声を掛けてみた。案の定、乗ってきた。だがしかし、樋口さんも蕎麦打ちの経験はあっても種蒔きから始める蕎麦作りは未経験。そこで六日町の蕎麦名人・大津さんにアドバイスを受け、種も分けてもらい、同時にとびっきり食いしん坊で蕎麦好きの仲間を集めて「月兎庵蕎麦の会」のスタートを切った。

新蕎麦を打つのは11月だが、種を蒔くのは暑い最中の8月10日前後である。一年目はススキが生い茂った150坪の荒れ地を借りて開墾し、「どうか上手く実が付きますように」と祈りながら手始めに70坪ほどの面積に種を蒔いた。すると三日目には芽が出て、40日目には真っ白い可憐な花が咲き、蜜蜂や蝶々が乱舞していた。この間、一度だけ肥料をやり、目に付いた雑草をチョイちょいチョイと採るだけ。そして、種蒔きから約70日で収穫を迎えた。話には聞いていたが、まったくもって手が掛からない。「な〜んだ。思ったより簡単!簡単!!」と思ったのもつかの間。収穫した実を干し、屑っ葉や実成りの悪いもの、様はゴミと実の選別の段階になるや否や泣きたくなった。ゴミを上手く取り除かないと粉引きする時にやっかいだと言われ、大小様々な目の篩で何度も取り除く。しかし、まだまだ混ざっていて最後に箕で仕上げるのだが、箕を使うのは初めて。村のばっちゃんに「箕を軽〜く持ち上げて、そうそう、パフパフしてフーフーすると良いよ。」と言われてもコツが掴めない。力を入れて箕を上下に動かすと勢いよく実がこぼれ落ちてしまうし、そうかと言って弱すぎるとゴミが上下に動くだけで、箕の先端へ移動して落ちてくれないし・・・。ようやくコツを掴んだ頃にはフーフーし過ぎて顎がガクガク。

さて、いよいよ蕎麦打ち当日。悪戦苦闘の甲斐あって、ベビーパウダーの様なきめ細やかな蕎麦粉が曳き方を頼んでおいた大津さんから届いた。蕎麦打ち経験者の樋口さんとサンキューさんは自前の蕎麦道具を広げて出番を待った。11月の滝谷は既に冬の足音が聞こえ始め、月兎庵の囲炉裏には炭が赤々と燃え、ストーブの上のヤカンも湯気を立てている。にも関わらず、打ち手の額からは玉の汗が吹き出た。蕎麦切りの段階になって、私も加わったが、トントントンとリズミカルには切れないで、きしめんの様になったり、そーめんの様になったり。一枚の蕎麦を切り終わる頃には包丁を持つ手が吊ってきた。

試行錯誤の蕎麦づくりも今年で4年目。苦労した実の選別も年代物の唐箕を譲り受け、ずいぶん作業が楽になった。今年の夏は何年ぶりかの冷夏だったが、蕎麦は着実に育っている。打ちたて、茹でたての蕎麦は、香りが一味も二味も違い、それをすするメンバーの至福の顔を思い出しては、一歩づつ思い出の味に近づいている蕎麦会が今から楽しみ!楽しみ!!  

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