滝谷便り no.2

‘99,1,21

月兎庵 庵主 中矢 澄子

滝谷へいざ引っ越し

5年前から新潟平野のど真ん中(新津)に100坪の畑を借りて花を育て始めた。余り手入れもしなく、雑草と花が混ぜん一帯となったようなガーデンだった所為か、畑を返す破目になり、一時は花育てを止めようと思った。が、しかし4年の間に宿根草の株は着実に大きく育ち、ようやく花も美しく咲き始めた矢先のこと。これらの花たちを捨ててしまうのが忍びなく新に畑を探し始めた。その時、一年前にふらっと出掛けて行った滝谷のことを思い出したのである。そこは、新潟市から車で1時間しかかからないのに、あたりの風景は何か懐かしい日本の昔の風景が残った、心からのんびりできる「日だまりの里」であった。

滝谷ガーデンのスタート

冬場の雪深さも気に入り、クルミの木が15本程繁っている荒れ地を借りることにした。なぜ雪深い滝谷を気に入ったかと言えば、植栽のプランを立てる時、書店で求められる資料のほとんどが東京ベースで書かれている。その為に役に立たないことがあり、自信を持ってプランを立てるには雪国で通用する自分だけのデーターを作ってみようと考えたからである。

そして一昨年の晩秋、仕事の合間を縫って土づくりも何もしていない荒れ地に、株をほっぽり投げたような格好で、取りあえず引越しを済ませた。

春になりポカポカ陽気に誘われて、リナリアの苗を1ケース買い込んでいそいそと滝谷に出掛けた。ところがどっこい。畑には、まだ10センチほどの雪が残っているではないか。折角来て、そのまま帰ればリナリアは枯れてしまうし、思案の末、雪をかき分けて植えて帰って来た。それが功を奏したのか、一躍滝谷では「花の人」ということで有名になってしまった。結局雪が解けたのは、4月の上旬。いざ本番 鍬で畑を耕し始めたが、耕せど耕せど仕事が終わらない。当たり前だ。今度は300坪借りたのだから。このまま行けば新津の二の前。ウ〜と考えて、大枚叩きホンダの耕運機「こまめ」を買った。これが、なかなかの優れもの。始めは腰が引けて振り回されていたが、1時間もすると自由自在に操れる様になった。みるみる開墾も進み、アッという間に50坪位耕していた。引越しをした時は気が付かなかったが、春を迎えた畑には、一面に野すみれが蕾を膨らませ、あちらこちらにはキクザキイチゲが咲いているではないか。始めはそれらの花を除けながら花を植える場所を造っていたが、よくよく見ると野すみれやキクザキイチゲだけでなく、野生の三つ葉や山野草の芽、蕗のとう、わらびも見あたる。結局、先住者に気をつかい過ぎると耕せなくなってしまうので、そこは目を瞑ってエイヤーとばかりにクルミ林の前までの150坪を、取りあえず開墾。

せっせと滝谷通い

 滝谷の畑は新津ののっぺりとした姿とは違い、クルミ林もあり敷地の周りには小石が積み上げられてサークル状になっている。変化に富んだ地形を見ていると、私のイマジネーションは否応でもかき立てられてきた。それに何と言っても「こまめ」は私の強い味方であると同時に、今まで持ったものの中でも最高のオモチャ。少々の草や根っこなんぞ、何のその。「こまめ」と一緒に歩くだけで、ストレスは何処へやら。その上、ほくほくして黒々とした美味しそうな土が顔を覗かせてウインクする。どんどん滝谷に惚れてきた。やばい深みにはまりそう…。

心配はまさしく的中。ある日、開墾していると、ざっくざっくと宝ものが出て来るではないか。興奮アンビリーバブル!! そう、ここ滝谷は大昔縄文人が住んでいたのである。少し離れた土手の脇では、土器の破片だけでなく石斧も出できた。ロマン漂う滝谷。すっかり取付かれてしまった。取付かれてしまったものはロマンだけではない。物腰が柔らかく、上品な顔立ちのおばあちゃんやおじいちゃんにも惹かれていった。その後分かったことだが、このおばあちゃんやおじいちゃん達は平家の血を引く人達だったのである。平家の落人6人衆・阿部、星、佐久間、外門、栗原、神田氏の6人から出来た集落なので、「阿部さん」と呼ぶとあちこちから返事が返ってくる。全国あちらこちらに平家の落人集落があることは知っていたが、まさか、こんなに近くに縁が出来ようとは思ってもみなかった。

気がつけば、往復2時間以上かかって、たった1時間の作業しか出来ない日でもせっせと通い、週に2〜3回逢瀬を楽しむ滝谷捕われ人になっていたのである。

 

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