滝谷便り no.16

00.7.7

月兎庵 庵主 中矢 澄子

お星様へ

 

すかりご無沙汰してしまいました。お変りありませんか?

気がついたら今年も半分が過ぎて、もう夏になっていました。そして、今日は七夕。子供の頃には毎年短冊に願いを書いて笹に吊るしたものでしたが、それも大人になってからは、とんとご無沙汰してしまいました。でも今年は久々に願いを書いてみようかという気分です。エッ!違います。違います。ロマンチックな願いなんかじゃないんです。ご無沙汰している間に私の身辺では理不尽なことが次々おこりました。

 

彼はユーモアーセンスがあり、人築夢街(じんちくむがい)企画室をつくり、危険・汚いで有名な横浜・日出町の街づくりに取り組んだ人でした。土佐出身の彼は、「わしは、坂本竜馬の生まれ変わりよ。世直しをするんじゃ。」と言いながらモーレツな速さで多くの賛同者を集め、見る見る間に日出町を花で生まれ変わらせた仕掛け人なのです。今では各町内ごとに植栽された花も大きく成長し、毎年春には桜まつりが開催されています。彼の仕事は日出町だけに止まらず、ソーホーネットワークを創ろうと日本中を東奔西走し、先ず始めに10数年間クローズされていた横浜シルクホテルを開放し、そこにソーホー・ベンチャーインキュベーションセンターを作り上げたのです。日本中に100ヶ所作り、それを拠点に世直しをすることが夢でした。働き過ぎていたのでしょう。今年の年賀状に「あなたのエネルギーを分けて欲しい」と書いてありました。そして、最後に聞いた彼の声は疲れた弱々しい声でした。亡くなる一ヶ月前のことです。52才の余りにも早すぎる死ですが、彼の周りには素晴らしい同志が沢山いました。その同志達が彼の夢を継いで行くと聞き、一安心です。 お星様、彼の夢がいつまでも生き続けますように・・・。彼の夢が叶うまで月兎庵を梁山泊に使ってください。

 

次に訪れた理不尽は、私に園芸療法と言う言葉を最初に教えてくれた友人が脳梗塞で倒れ、一週間以上も意識不明で生死をさまよいました。お蔭様で今は意識が戻りましたが、半身不随で病院のベッドで寝たっきり。彼女はかねがね「お年寄り達にお花を教えてあげたいの」と言っていました。その彼女の暖かい気持ちに動かされて、私は3年間東京で花教室を開いたのです。フラワーデザインの勉強を切っ掛けに、彼女は園芸にも興味を抱き、農大の園芸講習会にも参加するようになりました。その頃に園芸療法と言う言葉に出会い、「じゃー、一緒に勉強しようね」と言ったのが4年前。その後、私は長年関わっていた仕事が一段落し、ようやく園芸療法の勉強に取り組み始めました。思えば叶うとは良く言ったもので、いきなりその道のオーソリティーのポール・アリソンと出会いました。そして昨年カナダに行って勉強のスタートを切り、現在月一回園芸療法の普及を夢見ている仲間達と勉強会と普及の為の思索を練っていますが、なんせ切った貼ったで薬漬けの医療と、福祉の遅れている日本の現場で園芸療法が活用されるのは夢のまた夢かも分かりません。それに日本人の悪い癖で言葉が一人歩きしている点も夢の障害になっていますしね。公園づくりで新しい目玉はないかと考えているコンサルは企画書に「園芸療法を取り込んで・・・」と書き、ストレスの多い現代人が癒されることは良いことだ・・・と園芸療法の「え」の字も勉強していないお役人は拍手し、なんか儲かりそうだと造園業者の目はギラギラして、やたら車椅子の人用の花壇を直ぐ作りたがり、昨日まで菊の作り方しか生徒に教えていなかった(ちょっとオーバー)大学の先生は自己紹介の得意分野の欄に「園芸療法」と書くし、挙げ句の果てはお偉い学者までも園芸療法と園芸福祉をごちゃ混ぜに書いて出版してしまっている始末。「バカ阿呆間抜け!! アメリカに渡り、しっかり勉強してコツコツと園芸療法の普及に頑張っている澤田みどりさんのところで勉強し直して来い!!」と叫びたくなっては、ため息をついている私に、「あんた!挫けるんじゃないのよ。私の為にもね。」ってベッドの上で友人が言っているようで・・・。お星様、彼女が爽やかな笑顔で大空を駆け回っていた青春時代の時の様に、一日も早く元気になります様に・・・。

 

月の始めに個展の案内が届きました。昨年の秋にするはずの個展が都合があって春に延期になったと言っていましたが、春になっても案内が来なかったのです。それが夏の始まりに『「魂の遊ぶ部屋」零と一平へ』と題した案内が届き、その中に「追悼の日」と書き込まれていたのです。彼女は4年前に癌でご主人を亡くしたばっかりなのです。やっと悲しみから立ち直り、母親思いで優秀な一人息子はこの春念願の早稲田に入学。さーこれからと言った矢先でした。お父さんが亡くなったことで在宅看護やボランティアに興味を持ち、中学生の時はちょっと線が弱々しかった少年は、高校時代にスウェーデンに留学し、たのもしい青年になって帰って来てお母さんの良き相談相手でした。個展へ出掛けましたら、会場の壁に多くの詩が貼ってありました。

 

イメージの中で私は奴に“刃”を向けて

力の限りに振り下ろす

奴が恐怖に引きつるように

私は願う

「おもいしれ」と

「地獄に落ちろ 「地獄に落ちろ

 

けれど現実の私は涙を流し

「息子を返して!」と

ただ ただ叫ぶだけ

 

彼女は私にぽつりと言いました。「死んだ子供を私はこれからも育ててやりたいの。育てると言うことは死を無駄にしないことよね」と。小さな体で、今、彼女は法の改正を求めて戦い始めました。どんなに悪質なドライバーでも刑法211条(業務上過失致死傷)で最高刑が懲役もしくは禁錮5年、又は罰金50万円だそうです。今回の加害者は8年前にもひき逃げ事故を起こしているとのこと。3日前に懲役5年6ヶ月の実刑判決が下りましたが、法を改正するのは容易なことではありません。エネルギーと時間、お金も。 お星様、戦うことで悲しみから立ち上がろうとしている彼女にお力をお貸しください。そして、どうか彼女の運動が成就します様に・・・。

 

今、彼女は法の改正を求めて署名運動を行っています。お心ある方は・・・

288-0014 神奈川県座間市栗原中央5-1 座間ハイム中谷2-306

пFax 046-251-6460

E-mail kyouko−rei@ma2.justnet.ne.jp

鈴木 共子さんの方へご一報ください。

 

人生の峠を越えると色々なことに遭遇しますね。一昨年私は不本意にも入院をし、手術を受けました。命には別状は無かったので呑気にしていますが、同じ病棟の人が次々に亡くなって行くと、柄にもなく命とか人生、人の幸福をもう一度見詰め直したりしました。そして、前にも増して「人生一度っきりやりたいことは先延ばしにしない」と奔放に生きています。その目標の一つに「終の棲家構想」を考えて模索中なのです。エッ !! 聞きたいの恥ずかしいな〜。

それわね。滝谷が私にとって終の棲家に成り得るのかと言うことなのです。体がぴんしゃんして元気な内は街で生活することは刺激もあり、楽しみも沢山あるかも知れないけど、街場の老人を見ていると弱り方が早いみたいで、野生のサルみたいに元気な滝谷のじっちゃん、ばっちゃんみたいに過ごせたら良いな〜と思っては、いろいろ策を練っている次第なのです。今のままで行くと30軒ある家も10年後は4,5軒になってしまい、寂しくて人も寄りつかない村になってしまいます。これではいくら滝谷が好きな私でも暮らしていけません。そこで月兎庵に遊びに来て、すっかり滝谷を気に入り、ここで田舎暮らしをしたいと願っていた友人をこの春から滝谷半住民にしました。この調子で空き家が出る度に少しづつ人の入れ替えが出来れば、廃村は防げるはず。その為にはせっせと滝谷ファンを作らなくてはいけません。その策として、収穫祭やそーめん流し、餅つき大会と称して村の人達と街生活者の交流の場を作ってきました。案の定、やって来た友人達はいっぺんでじっちゃん、ばっちゃんのファンになりました。滝谷の風景も大事です。四季折々花が咲き乱れる図を頭に描きながら、一層ステキになるようにと、曼珠沙華の球根や秋桜の種を大量にばっちゃん達にプレゼントし、勝手に花咲かばあさんになってもらっています。今年は月兎庵行事に蕎麦まつりを加えました。美味しい水と滝谷蕎麦。考えただけでもヨダレが垂れ、心が躍り、うっふ・・・とほくそえんだりして土地探しを始めました。ところが、そこに難問が立ちはだかったのです。ここ滝谷は毎年猿被害に悩まされていますから、蕎麦は猿をおびき寄せるからと言って、空いている畑を誰も貸してくれないのです。新潟蕎麦の会を主宰している友人は猿の害など県内で聞いたことがないと言っていますが、ばっちゃん達は思い込んだら頑固で保守的。もし貸して、今以上に猿被害にあったら皆から責められるのを怖がっているのです。気持ちは分かりますが、「猿が狙って来るのは何も蕎麦だけじゃないはず、芋もトマトもトウモロコシも。それに誰も今まで蕎麦作ったことがないから、やってみないと分からないでしょ可能性に賭けてみませんか」と心で叫んでいる私に、またしても気が萎えてしまいそうな話しが耳に入りました。それは、今使っていない畑を杉林に変えて行くと言うのです。確かに年取って来ると草刈りも大仕事です。現に草刈り機を持っている私でさえ草の成長に追いつかず、行く度にアマゾネスのごとく草を刈っています。森林組合へ杉を植える希望を出すと、組合の方で植林から毎年の手入れまでしてくれて、10年後に土地の所有者に10万円程お金が戻って来るとか。これからはドンドン畑が杉林に変身して、日だまりの里が日陰の里になってしまいそうな予感がします。もし、そうなると他人はおろか村を出て行った子供たちでさえ、陰気な村なんかに墓参りにも帰ってこないぞー!! それでも良いの !! 苔むした石のベッドは寝心地悪いぞー!! と、またまた心で叫んでいる私。

こうなったら何が何でも3反5畝畑を借りて花でも野菜でも作って農業従事者の資格を取り、

少しづつ農地を買い景観を守って行くしかないのかな・・・それにしては先立つものが無い。

お星様、どうか終の棲家構想が実現しますように見守りください。だって、もしかしたら、皆にとっても老々介護のできる理想の終の棲家の里が出来るかもわからないのですから。後は村にホスピスがあれば良いわね。と言ったら、知人が「イヤ!ピンピンコロリ神社があれば良いじゃない」と提案。名案、名案。あるある、普段誰も参らない手ごろな神社が・・・。

今日は七夕。あなたはどんな願い事をお願いしますか

では、また。

 

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