月兎庵田舎暮らし 

 

2011年9月・10月

10月30日(日)曇り時折雨 「クチコミ」

3年前に滝谷に忽然と蕎麦屋ができた。 当初、こんな処で営業が成り立つのかと思ったが、隠れ里の蕎麦屋には惹かれるものがあるらしくて年々客は増えている様子。 今日も新蕎麦の時期になり朝から次々に車がやって来ている。 大々的に宣伝をしている訳ではなさそうなのだが、春、営業を開始する時にはお客様にハガキを出しているとのこと。 あとはクチコミで広がっている。 それにしても日本人は蕎麦が大好きだなぁ。  きっと山都も賑わっていることだろう。 山都を知ったのもやはりクチコミだ。 どんなに遠くても、どんなに辺鄙でも、どんなに高くても来るんだもの。 また久々に出掛けたいなぁ。 

 

ストーブの焚付けの杉っ葉が置かれている玄関(民家)

 

10月28日(金)晴れ 「会津での出会い」

「忙中閑あり」と、震災復興イベント「全国伝統的工芸品フェスタin会津」が行なわれている会津若松に出掛けた。 城下町生まれ育ちの私は、同じ様な風土、匂いを持つ城下町を訪れるとどこか懐かしさを覚える。 フェスタは期待が少々外れたが、中々手に入らない素材を見つけることができ、まぁまぁかナ?!と会場を後に、久しぶりに街の中心、七日町へと向かった。 

この界隈は素晴らしい蔵がたくさんある。 その一つで骨董屋になっている蔵に入った。 中では、気さくで上品なご夫婦が迎えてくださった。 以前から塗りのいいお盆を探していた私は好みのものを見つけて、今日の収穫は大だ〜!と喜んでいると、ご主人が「今、二階でアート展示をしていますから・・」と案内してくださった。 二階には小沢剛の作品が展示されていた。 作品もさることながら、空間がいい! 思わずここでインスタレーションができたらと思ってしまった。 そのことを話すと是非!という話しになった。 しかし来年はあかり展が二つ、写真展が一つ、既に入っていてかなりスケジュールがきつくなっている。 再来年に・・・と伝えると「ずいぶん先だなぁ」とガッカリされた様子。 前々から会津若松でも個展を開きたいと思っていた私。 これは縁だと思った 。 私ができるささやかな復興支援になるかもしれないと、来年5月にガンバルことにした。 しかし今は目の前のことを一つづつ確実にやっていくだけ。

アートで元気を取り戻そうという企画で、会津若松市と喜多方市で「会津・漆の芸術祭2011 東北へのエール」が開催されている。  

 

 

10月27日(木)晴れ 「新発田が熱い!」

昨日滝谷から帰ってきたら新発田のタウン誌「Compass」11月号が届いていた。 今月の特集は「田舎ぐらしの達人」だそうだ。 自分が達人かどうかは分からないが今月始めに取材され、それが載っている。 自分以外に7人の人達が紹介され、とても興味深く読んだ。 一人ひとりがしっかりとした考えを持ち想いを持ち大地に根ざした生き方をし、田舎暮らしを謳歌し、何よりも自分が暮らす地域を愛していることがヒシヒシと伝わってくる読みごたえのある特集だった。 これは取材の受け手だけが放つ情熱だけがなすものではなく、取材側の情熱も加わっているからだと思った。

「Compass」のサブタイトルは、新発田をもっと好きになるフリーマガジン[街角こんぱす]とある。 サブタイトル通り、この本を読んだ読者は新発田の魅力を再発見するだろう。 編集長の西村純子さんはチャーミングな二児の母。 女性が家庭を持ちその上責任あるポジションにある場合、男性の数倍の苦労があるはず。 そして数倍の努力が必要だ。 西村さん率いる[街角こんぱす]は新発田に、新発田の人たちにエールを送っている。 私は[街角こんぱす]に、西村さんにエールを送りたい! 女性が活き活きしている地域は活き活きしてくる。 新発田が熱くなるぞー!

 

 

10月26日(水)小雨 「秋彩」

今年の滝谷の紅葉は例年より早い。 庭の桜の木もすっかり紅葉してハラハラと庭いっぱいに鮮やかに色づいた葉を落としだした。 村の杮の実も色づき、向いの棚橋山もずいぶん色づいた。 今年は杮も栗もクルミも成りがいいのに、サルの姿を見かけない。 熊の噂も聞かない。 山の実成りもいいそうだ。 この時期サルを見かけないのはチョッと寂しいなァと思っていたら、月兎庵の脇の道をノッソノッソと二匹のサルが歩いていた。 こちらに気付き立ち止まって私を見る目は鋭く、威嚇をしている目付きだ。 体長1メートルはありそうな大猿は既にフサフサと冬毛に変わり顔もお尻も真っ赤か。 サルも秋色。 発情期を迎えた猿は気が荒くなる。

 

サルが落としていった杮の葉 

 

10月25日(火)雨 「育てられて」

お客様のOさん宅の照明を頼まれて一箇所づつ「あかり」に替え始めてから3年も経ってしまった。 今日、ようやく全てを完了。 この間、私が気が向いたときに制作すればよいと気長に待ってくださった。 こう言う人達に囲まれているから私は育ったのだと思う。 イヤ、育てられたのだと思う。 感謝の気持ちでいっぱい。

 

 

10月23日(日)雨 「蕎麦収穫」

数日前から天気予報とにらめっこ。 「曇り夕方から雨」 よっしゃ〜!いける!と踏んでいたのに、準備が整いイザ行かん!と玄関を出たとたんザァーと大粒の雨が降りだした。 ここで怯んで成るものか! 雨が通過するのを待ってイザ出陣! 行楽のシーズンともなるといたる所でさまざまなイベントが行なわれる。 日本料理の巨匠は、京都、東京から来る料理の鉄人たちの受け入れで本日は欠席。 などなど・・・今年一番の少人数でその後も時折雨が降る中、精鋭8人衆は頑張った。 昨年はハサいっぱいに掛けられず不作だったのに、今年はハサに掛けられないほどの豊作。 Oさんが選んでくれた大豆に使う肥料が功を奏したみたいだ。

 

   

 

10月21日(金)晴れ 「個展まえ]

遅れに遅れていたDMがようやく今週の火曜日に画廊から届いた。 新発田で個展を開くのは8年ぶり。 だから新発田の人達にたくさん見に来てもらいたいと、さっそく翌日には赤谷、新発田方面にDMを届けに行った。 そして昨日、今日は新潟市内。 画廊からは県内の美術館や主だった画廊に送られるから、私は個人には郵送なのだが、日頃親しくしている画廊やお店にはコ ミュニケーションを深める意味も含めて出向き、一人でも多くの人に紹介をして頂けるようにとお願いをしてくる。 東京のような大都市ではたいへんな労力を要することだが、その点、新潟は丁度いい大きさだ。

個展前になると日中はDMの発送、作品の仕上げ、搬入準備など諸々のことが怒涛のように押寄せて一日があっと言う間に過ぎていく。 だから、作品制作は早寝早起きをして落ち着いてできる夜から早朝になってしまうことが多く、このごろはすっかりラジオ深夜便と仲よくしている。

  

 

10月19日(水)晴れ 「ばっちゃんの散歩」

暑くもなく寒くもなく、今日はお散歩日和。 先日の続きで車庫を片付けていたら、ばっちゃん達が通りがかった。 「何処まで散歩へ?」と聞くと 「砂防ダムまで」と。 70代の年寄りは村から焼峰橋を渡って県道に出て、杜名橋を渡って村に帰って来る4キロのコースを散歩しているが、80代の年寄りの散歩は焼峰山登山口脇の建設中の砂防ダムまでの往復600メートルが、この頃のもっぱらのコースである。 静かな村に毎日大型ダンプが入って来るのでばっちゃん達の一番の関心事なのだろう。 今日もばっちゃん達が口々に言っていた。 「お役人がすることは分からん! 村にはあんなもんいらんし、造った頃には村は誰も居なくなっているのにね」と。 「こんな所にお金使わなくてもいいのに!」と。 まったく同感!

そうそう、先日の灯油タンクの件は、別の不要になったものを譲り受けて一件落着となりました。

 

 

10月18日(火)晴れ 「いちじく」

冬にある会を企画しようと思っていて、その時は山姥の手料理でもてなそうと張り切っているのだが、デザートを何にするかと思案をしていたら、先日上手くできたイチジクの甘露煮にしようと思いついた。  (今は作品制作の追い込みなのに不謹慎だとおもわれそうだなァ。 制作は順調です念のため) 熟した食べごろのイチジクはスーパーや八百屋に行けばいくらでも手に入るのだが、山姥が欲しいのは青くて硬い、いわゆる出来損ないのイチジク で市場に出回らないものが欲しいのである。 そこで方々へ電話をしてみたのだが、なかなか無い。 もしやと思い蕎麦仲間のOさんへ電話した。すると実家にあるとのこと。  今を逃したら来年まで手に入らないから直ぐに採りに出掛けた。

庭に採りやすく剪定されたイチジクの木が二本あった。 食べごろを過ぎてパックリ口を開けたものは「鳥さん用ね」と、次々にもいでいたら「これは私のよ!」と蛙が陣取っていた。 今日はOさんのお蔭で大収穫。 久々に秋の夜長は甘露煮づくりに精を出した。

 

 

10月16日(日)雨 「ハプニング」

今日はシトシトと雨が降っているかと思えばザーッと大粒の雨が降り出したり、突然日が差したりの初冬特有の天気だ。 そんな中、ガレージの片付けと灯油タンクの設置をしようと、ツレアイを助っ人に滝谷へ。 先ずは200リットル入りの灯油タンクを屋根屋の佐藤さんが軽トラで運んで来てくれて玄関先に設置。 お次は山姥は手子に廻ってガレージに残されていたベニヤ板を壁に次々打ち付けて少しスッキリ。 新しく購入したインパクトドライバーのパワーの凄いこと! 片付けは着々と進んでいった。 屋根屋の佐藤さんからもらった灯油タンクは所々錆び付いていたので以前買っておいたペンキを持ち出して、灯油屋さんが来る前に裏面だけ塗っておこうとお得意のペンキ塗りに励んだ。 「フム?なんかFちゃんみたいだゾ!?」 日本舞踊をやっているFちゃんは日頃のお化粧が人より一段も二段も白く、白塗りFちゃんとして名が通っている。 そんなことを思いながらペンキ塗りをしていて、、、。

昼食後、灯油屋の給油車が来た。 150リットル給油完了。 ガレージの片付け順調。 再び灯油タンク塗りを開始。。。しようと思ったら水抜き栓からポッタン・・・ポッタン。 水? 油?臭いを嗅ぐと 油だった。 直ぐさまツレアイを呼ぶ。 「プライヤーは?」と言われてもここには無い! 「じゃー、佐藤さんから借りてくる」と言って出掛けて佐藤さんと連れ立って帰って来た。 普段水道工事もやっている佐藤さんには栓を締めることぐらいお手の物。ヤレヤレこれで一件落着!と思いきや・・・それからがテンヤワンヤの大騒ぎ。 プライヤーを右に回してもポタポタ。 左に回してもポタポタ。 「ゴミが詰っているんさねぇ。 ここをキレイにすれば・・・」と栓の穴を触っているとポタポタポタと前にも増して油が漏れ出した。 「この穴を塞げばいいんだけど何か塞ぐものはないかねぇ」と。 それを聞いて咄嗟に家に入って「あかり」の廃材から適当な太さの小枝を持って出て佐藤さんに渡した。 小枝を穴に突っ込むと、止まるどころか勢いよく流れ出た。 佐藤さん、慌てて指で塞ぐ。 いつまでもこのままでいられない。 対策を練った。 止め役をツレアイにバトンタッチし、佐藤さんはドラム缶を家に取りに帰り、山姥は花バケツを取りに小屋へ。 空いているポリタンクも準備して、流れ出る油を受け止めては次々にドラム缶に移し変える。 150リットルの灯油を移し変え終わるとホッと。 それと同時に辺り一面の油の臭いでクラクラ。

使わなくなった灯油タンクが勿体ない!と思ったことが裏目に出た。 白塗りFちゃんだなんてことを思いながら作業をしていたからバチが当たった。 帰り道ホームセンターに立ち寄ってドラム缶からポリタンクに移し変えるホースの値段を見ると3800円もしていたから買わなかった。 今年の冬は楽になるゾ〜!と思っていたのに課題を抱えてしまった。 アーァ。 まぁ、なんとかなるさねぇー。 ヤレヤレ。

  

作業をしながら日が差し込んだところを撮ろうとして三度目でやっと撮れたアトリエ前の風景

 

    

片付け進行中のガレージ。

問題になった灯油タンク。白塗りは完了させました。

 

10月14日(金)快晴のち雨 「片付け」

小屋の半分を取り壊したのでそこに入れていた諸々の道具を入れる場所の確保に先日車庫を借りた。 今日はその車庫の片付けと、屋根屋の佐藤さんからポリタンク10本分が入る灯油タンクをもらうことになったので、タンクを置く玄関先を午前中片付けることにした。 作品づくりも大詰めに入っているのであまり体力を使い過ぎないように気をつけながら片付けたけど、やっぱり使い過ぎてしまった。 なんでこんなにも道具があるのかと思うほど鎌15本に鍬3丁、小型耕運機にスコップ5本。 スノーダンプ3台熊手5本。 唐箕にザルに釜などなど。 余りにもあり過ぎ。

 

 

10月13日(木) 「虫たちのこの頃」

小屋の戸を開けてビックリ。 カメムシがびっしり張り付いていた。 建物の中にたくさん入る年は雪が多いとこの辺りの人達は言っている。 今年も多いのかなぁ。 外に出ると蜂がブンブン。 新たなグループが越冬する場所を探しているようだ。 藪や原っぱに出かけると、夏には気が付かなかった女郎蜘蛛が目立つようになった。 好きではないが模様といい色合いといい、ついついジィーッと見てしまう。 蝶は羽がボロボロ。 一年よく頑張ったと思う。 赤トンボはスイスイと青空に飛び、指を立てると止まっては首をかしげてこちらを見る目が可愛い。 

 

 

10月12日(水)快晴 「もう冬仕度開始です」

毎日気持ちのいい日が続き、山の木々も少し色付き始めた。 こんな日はムカゴ採りか、きのこ採りにでも出掛けたくなるが、個展に向けての作品づくりもあるし・・・じ〜っと我慢我慢。 それに今日は屋根屋の佐藤さんに月兎庵の冬囲いの相談がある。 去年までは星さんに冬囲いをお願いしていたのだが、亡くなってしまったから今年からは自分でやらなければならない。 しかし、さすがの山姥も年々パワーダウンをしているので、今後らくちんに冬囲いができるような仕掛けを作ろうと思った次第で・・・。

 

お隣の栗原さんは、もう冬囲いを始めていました。 村では既に数軒は完了した家があった。 年々早くなっている感じ。

 

 

10月9日(日)快晴 「新潟マラソン&しな布織り」

秋晴れの中、新潟マラソンが行なわれた。 萬代橋まで散歩がてら見物へ。 今年で29回目だそうで、そんなに前から行なわれていたとは認識不足。 8時半に花火が打ち上げられ陸上競技場をスタートした先頭集団は2キロ地点の萬代橋を13分後には通過。  タイムを競う人、楽しんで走る人、参加することに意義を感じている人と、それぞれのスタンスで走っている姿は今日のお天気のように爽やかだった。

 

新潟マラソン見物を楽しんだ後は一路山へ。 前々から気にかかっていたしな布の里・山熊田へ。 行けども行けども集落に辿り着けない。 滝谷なんて足元にも及ばないほど聞きしに勝る鄙の地だ。 なんたって集落の名前に熊の字が付くぐらいだから。 到着後どこかで糸づくりを見せてもら いたいと思ったら大滝ヤスノさんの家に案内された。 ヤスノさんはちょうどお昼の最中。 なのによく来た!よく来た!とコーヒーを淹れ、名産の赤カブの酢漬けや 豆の和え物を出して来て、おまけに憧れの天然舞茸の入ったお汁までご馳走をしてくれた。 何でこんなにも山熊田の人達は親切なんだろうと、いっぺんで案内してくれたのぞみさんやヤスノさんのファンになってしまった。

 

糸づくりを見せてくれたヤスノさん。 

 

10月8日(土)晴れ一時くもり 「秋の虫たち」

小屋を片付けていたらカマキリとカメムシを見つけた。 両方ともお腹がパンパン。 どこで卵を産もうかと産卵場所を探している様子。 カメムシはともかくとしてカマキリが気にかかった。 今年も雪が多いのだろうか。

 

    

 

10月6日(木)雨 「お願いに廻って」

写真集づくりも大詰めに入ってきた。 なのに写真集に載せる人達の承諾をまだ取っていなかったので昨日から承諾のお願いに廻った。 もしイヤダ!と言われたらどうしようとドキドキしながら・・・。 先ずは屋根屋の佐藤さん宅へ。「写っているモデルは悪いけどね。いい記念になるさぁね。」とスンナリOK。 次は外門さん宅へ。 「正面の顔が写っていないからいいよ!この日は猛吹雪で美容院の帰りでね」と、懐かしむように写真を見ながらOKを出してくれた。 OK続きで気を良くして藤助さん宅へ。 じっちゃんはあいにく留守だったが、ばっちゃん曰く、「おじいさんは写真に写るのが好きだからいいよ」「この写真は大きいのをもらったども、いい顔しているから葬式の時に使おうと決めたんだ」と。 そこですかさず写真嫌いのばっちゃんに「ばっちゃんの写真も撮りたいんだけど、どう?」と言うと。 「おら逝かね!」だと。 一本取られたぁー。 春に亡くなった星さん宅へ行くと「お父さんは働き者だったねと頂いた写真を見て家族で初盆に話したんだよ。いい写真を撮ってもらって良かったねって感謝しています。」と未亡人になってしまった奥さんに感謝された。 杉原さんのおっか様のところに行くと「足が悪くなって外に出掛けるのも億劫になると写真を見るのが楽しみになったのよ。 写っている頃の自分と話しをしたりしてね。 すると不思議と元気が出るの。 撮ってくれた人のことも思い出すしね。」と。

私の勝手な思いで撮ってきた写真を快く承諾してもらって感謝するのみ。 拙い写真でも喜んでもらえる喜びを逆にもらってますます感謝! やっぱり写真っていいもんだなぁと写真の力を再認識した一日。

午後からは新発田市のタウン誌「街角こんぱす」の取材を受けた。 カメラマンさんは先日の安斎さんの打ち上げで既に会っていたし、編集長のNさんはステキな女性だったので取材を受けている感覚なしで話が弾み楽しい時間を過ごしたけど、取材大丈夫だったかなぁ。 11月に出るそうです。 本を見かけられたらページをめくってみてください。 

 

 

10月5日(水)くもりのち雨 「実りの季節」

向いの外門さんがクルミの皮むきをしていました。 今年は成りのいい年だそうで沢山採ってきていました。 クルミの皮むきは長靴でクルミを踏みつけて外皮をむき、剥き終わったら丁寧に洗って干します。 作業は単純ですが根気のいる仕事です。 クルミに限らず自然の恵みを頂こうとすると根気がなければ頂けません。 ですから滝谷の人たちは心から贈って上げたいと思う人にしか送っていないのです。 売ろうなんて考えていないのです。 自家用なら沢山採る必要などないのですが、心を届けたい人達が多くいるのでしょう。 「心を贈る」生活風景。 ステキだなぁと毎年見ています。 今年はクルミだけじゃなく栗もミョウガも柿もたくさん実をつけました。

 

 

 

10月4日(火)晴れ 「寒くなりました」

いよいよ個展まで一ヶ月を切り、最後の追い込みで滝谷に入った。 月兎庵に入ったら、ワァッ寒い! 部屋の温度が15℃を切っていた。 慌てて扇風機を片付けストーブを引っ張り出した。 点けようかと一瞬思ったが、燃料費節約!節約!と、上着を一枚着込んで我慢がまん。 つい先日まで暑い!暑いと言っていたのに・・・。

 

 

10月1日(土)くもり 「夢の立会人」

先週に引き続き新発田の街へ。 一週間前に初めてお会いした「写真の町シバタ・プロジェクト」の仕掛け人の吉原悠博さん から「安斎重男×吉原悠博」トークセッションのお誘いを受けて吉原写真館へ出掛けた。  縁は不思議なものとつくづく思う。 安斎重男さんとは昨年の夏、友人の出版パーティーで初めてお会いした。 安斎さんの第一印象はダンディーで風貌、雰囲気が亡き父に似ており、何処のどなたか分からないままにお話しをさせて頂いた。 すると現代美術のアーチストたちの記録を撮っている写真家とのことが分かり、楽しい一時を過ごすことができた。 それから一年二ヵ月後に偶然の重なりで再会することができ、私が世田谷の深沢に住んでいた頃に安斎さんも同じ深沢の住人、それも極ご近所さんだったことがわかり、なにやらまたしても不思議な縁を感じてしまった。 もちろん私ひとりの勝手な思い込みにしか過ぎないが・・・。

さて、トークセッションは午後5時半にスタート。 吉原さんの「吉原家の140年」のアーカイブ スライドから始まり、9時近くまで熱いセッションが続いた。 その間ときどき小休憩があったものの飲まず食わず。 やぁ〜、とにかく熱い! 第一線で活躍している世界中のアーチストたちの制作風景、作品、普段の顔を写し取った安斎さんの作品はただの記録写真じゃないセンスの良さに見入ってしまったほどだ。 後で写真を撮り始めた切っ掛けを尋ねると、もともとは安斎さんもアーチストとして活動されていたとのこと。 そしてちょっと記録を撮ってと頼まれたのが始まりで嵌ってしまった、と。 撮影対象は有名アーチストに限らず無名アーチストも追いかけ、今でも楽しくてしょうがない!と話され、その数何万枚か何十万枚か、とにかく膨大な数らしい。 セッションの中で印象的だった言葉は、「好きなことをやる」「質を上げるには数をこなす」「発信は何処に住んでいてもヤロウ!と言う気持ちを持ち続けていればできる」だった。 偉業を成し遂げた人たちからよく聞く言葉がまたしても今夜出た。 そう思ったのは私だけじゃなく会場に居た皆さんもだろう。

セッション終了後会場近くの小料理屋に場を替え交流会兼セッション第二弾。 その中で「写真の町シバタ」の可能性に吉原さんが安斎さんに尋ねると、「ミュージアムができたら今持っている写真を全て寄贈するし、世界中のアーチストから贈られた作品も寄贈する!」と言う話まで飛び出し、吉原さんのテンションは上がる一方。 町を変える、時代を変えるには熱い志を持ったバカ者がいなければ何も変わらない。 打算的だったり客観的だったら夢は打ち砕ける。 吉原さん、バカを邁進しろ! 今夜二次会にいた面々は夢の立会人であり応援者だから・・・。 なんかワクワクするなぁー。

  

  

夢の立会人の我々を撮影する安斎さん。  夢人、吉原さん(後列右二番目)と安斎さんを囲んで。

 

9月28日(水)晴れ 「もったいないなぁ〜」

冬に向かって、倒れそうな小屋の半分を屋根屋の佐藤さんに取り壊してもらうように頼んでおいた。 取り壊し完了の知らせをもらい滝谷へ。 小屋の周りには、取り壊した梁や壁板が整然と片付けられていた。 これらを阿部のじっちゃんにストーブの燃料にしてもらおうと思った。 しかし、じっちゃんは既に薪は調達したとのこと。 おかしい!この頃薪づくりの姿を見かけていないのにもう薪を調達したとは? ・・・と思ったら、薪屋から薪を買う手配をしたというのだ。 

考えてみてば、じっちゃんは既に90才は越え、手子のばっちゃんは昨年亡くなった。 一人での薪づくりは大変な重労働だ。 去年までよくやっていたなぁと思う。 薪をつくってプレゼントしてあげれば喜んでもらってくれると思うのだが、チェンソーの手入れも忘れたぐらい使っていないし、今は家事と 作品づくりに手いっぱいの状態だから・・・。 でも産廃業者に頼んでゴミとして焼却してしまうのは余にももったいない! 木も最後まで使って欲しいと願っているような気がして・・・。 誰か使ってくれる人いないかなぁ。  

 

 

9月24日(土)晴れ 「一冊の写真集から」

ある日、紙面に目が止まった。 そこには「細江英公記念講演会」と書かれていた。 前々から気になっていた写真家の講演会が新発田市であるというので迷わず出掛けていった。 写真集「花泥棒」の作者だったから。 書店で「花泥棒」に出会った時なんともシュールな写真に惹かれ購入し、それを観る度に作者の感性を探ってみたいと思っていた。

会場に着くとホテル・イタリア軒で写真スタジオを営んでおられた写真家の内山晟さんと、この度細江さんの「気骨」を出版された博進堂の社長、清水伸さんに声を掛けられた。 お二人とも懐かしい顔。 動くと何かの出会いがあると言うが正しく今日はそんな日。 そんなことを思っていると清水さんから講演会後の打ち上げに誘われた。 細江英公の感性を探ってみたい、触れてみたいと思っていた私にとってはラッキーなお誘いだった。

講演会では「好きなことをやれ!」「何を撮るかではなくどう撮るかが大切だ!」という言葉が今の私の心にズドンズドンと落ち、公演中に見せて頂いた写真はコレも!アレも!・・・(私の場合、作品と作者を同時に認識する能力がないので)といった具合で、ちょっと不気味でユーモラスな「鎌鼬(かまいたち)」の作者だったことを知り、ますます人間細江英公を知りたくなった。

打ち上げ会場に向かう前には新発田市を写真の街にしたいと行動を開始された吉原愁博さんとも初めてお会いすることができた。 吉原さんは芸大在学中にNYのアートスクールに留学し、芸大卒業後はインターナショナルなアーチストたちとコラボレーションをし、自らもインターナショナルなアーチストとして活躍されていたのだが、140年続いている実家の写真館の店主になるために4年前に新発田に帰って来られ、「新発田に熱い人が帰って来たヨ!」ということは前々から私の耳に入っていたから今宵会えることができてダブルラッキー!

10人ほどの打ち上げには細江さんの息子さんの写真家・細江賢治さんもご一緒で、写真談義に始まって海外の話、政治の話しが膝を交えて広がり密度の濃い時間が流れていった。 その中で「細江さんは若い時にはヤンチャで好奇心が強かったんですか?」「ヤンチャ?ヤンチャ?・・・そうかも知れんね!好奇心は大切だよ!」。 「鎌鼬にはショックを受け、嫉妬さえしますね」「嫉妬!?もう遅いよ。嫉妬しないで本を買いなさい!ウォホッホ」だって。御歳78才の人間細江英公氏は生涯現役を目指して今も作品を撮り続け、好奇心は衰えずヤンチャぶりもまだまだ健在とお見受けした。 そして今宵、とてもニュートラルな精神を持ち品格があり、笑顔が可愛い細江さんにお会いできたのは、ふっと手にした一冊の写真集が縁。 その写真集は冬青社から出版されていた。 年末には私の写真集が冬青社から出版される。 とても不思議な縁を感じている。

●只今新発田市商店街では「新発田の記憶」という写真イベントが行なわれています。48店舗のショーウィンドーに懐かしい写真が展示されています。10月7日まで。

●新発田市生涯学習センターでは、この度博進堂から出版された細江英公氏の写真展「気骨」が展示されています。戦後日本をけん引した経済界のトップリーダー達の姿を収めた写真から多くを感じ取れ学べるものです。10月1日まで。

●吉原写真館では収蔵されていた「吉原家の140年」「加治川の桜」などの写真展示がされています。10月9日まで。問い合わせ 0254-22-2056

 

 

 

9月22日(木)雨 「現場は大詰め」

8月末に完成予定のI氏邸の竣工が一ヶ月遅れていよいよ大詰めに入った。 あかりの取り付けに出向くと現場は戦場の様。 あかり制作も何とか間に合い、電気工事担当の方と12個の灯りを取り付けてホッと一息つけた。 今回使用した電球は全てLED。 3.11以降省エネが叫ばれたお蔭でLED電球もずいぶん質が良くなったが、まだ光量の選択巾が狭く反射板が今一歩。そして高価なことが欠点だ。 需要が伸びればこれらの問題は解決されるのだろうか? 需要を待たずして各メーカーは、より質が高く低価格なものを開発して欲しい! 

 

  

 

9月21日(水)暴風雨 「DM用撮影」

いよいよ11月5日から始まる個展に向けてラストスパート。 今日はDM用の撮影に個展会場の「カールベンクス古民家ギャラリー」へ台風接近の中、出掛けた。 あかりの個展をするようになって今年で丸10年。 今までいったい幾つのあかりを創ったのだろう。 もうカウントできなくなったし、する気もなくなった。 しかし、あかりはまだまだ作り続けて行きたいと思っている。 煌々とした蛍光灯で平面的に照らし出された部屋の味気なさから、軟らかな光の間接照明がどんなにか心を休ませ、部屋を魅力的にするかを微力ながら伝えたい。 普段の生活が楽しくなるような「あかり」を作りたい。 そう想いつづけて10年。 今回もニューバージョンのあかりをお見せできる。 どんな感想を頂けるのかワクワクドキドキ。

個展会期は11月の第一・第二・第三の土日のみ。

 

9月17日(土)くもり 「ミョウガの季節のはずなのに」

そろそろミョウガ採りの時期だと畑に行ったが、まったく見当たらない。 例年だと夏ミョウガはお盆の頃に。 秋ミョウガは秋分の頃に採れる。 それが年々狂い始めている。 今年もやっぱり季節が狂っていて、この間庭の片隅で採ったミョウガは夏ミョウガだったようだ。 秋ミョウガは今年も10月に入ってからなのだろうか。 夏ミョウガは実が柔らかくて薬味ぐらいにしかならないが、秋ミョウガは実がしまりコリコリしているから酢漬けや味噌漬けにして保存食になる。 私の周りには滝谷のミョウガを首を長くして待っている人達がいる。 10月はいっそう忙しくなりそうだ。 ps.蕎麦の花は今が満開ですよ〜。

 

 

9月13日(火)晴れ 「お土産に」

3週間の休暇を有意義に過ごしたネコは再びNYに向けて出発した。 細切れの時間を見つけては針を持ちお喋りしながら作ったショルダーバッグと、春に滝谷の山で摘んだ山椒の実とちりめんじゃこで作ったちりめん山椒の佃煮をお土産に持たせた。 楽しかった時間を過ごせた母からの、「ありがとう」を込めて。 また激務の日々が続くと思うが、元気で過ごして欲しい。 久々の針仕事は心が落ち着いて楽しかった。次々に作りたくなったが、針を持つ手は暫らくお休み。 さぁー、今日からは再びはんだコテにドリルを持つ手に変身だ。

 

  

お財布と鍵、小物が入るぐらいの小さなショルダーバッグ。バッグの表はあかりを作る時に出る半端な和紙をつなげてキルティングした。使用した和紙は洗濯機にかけても破れないので、軽くて丈夫。 内側は兎模様のてぬぐい。 肩紐は牛のぬめ革。 ファスナーの先にはピンクのトンボ玉。 これ全部自宅にあったものをreuse。 万年金欠病の母の知恵。うふふ。 出来上がったバッグを眺めて自我自賛している母親を覚めた目で見ていたネコに、「コレ、お土産!」と渡すと、「白だから汚れ易いねぇ」と半分迷惑そうな顔していたなぁ。 汚れたらペイントしても良し、マーブル模様に染めても良し、判子ペタペタでも、なんでもかんでもオールOKなんだから・・・。なんたって紙、かみ、紙なんだからね。 気楽に使ってヨ! 

さぁ、試作品一つ作ったから次は我輩のを作ろうかな?イヤ、次はもっと手の込んだものをお作りしますからネコどの。母のお願いよろしくね〜!

 

9月11日(日)晴れ 「11の日」

3.11から今日で半年。 9.11からは、もう10年が経った。 あの時に災難にあって亡くなった親族の悲しみは少しも消えていないはず。 それなのに時だけが早く行き過ぎていく。 「ママ。ダウンタウンで何か大きなことが起こったみたい!凄い煙があがってるの。私は大丈夫、心配しないで!」と言ったきり電話は途切れた。 慌ててテレビを点けると二機目の飛行機がビルに突入する直前だった。 職場がダウンタウンにあれば確実に巻き込まれていたと思う。 人の生と死は背中合わせだと、あの時思った。

青空が広がった真夏日のような滝谷で暫らくぶりに娘と同じ空気を吸い、草の匂いを嗅ぎ、満開の蕎麦畑を眺められる幸せを感じつつ、生きる意味 生かされている意味を少し考えた。 昨日突然に入った友人の訃報。 明日は通夜。

 

    

  

ミョウガの花

9月9日(金)くもり 「山の花火」

新潟県の三大花火と言えば、川の長岡花火に水の柏崎花火に山の片貝花火だ。 今日はその一つ、片貝花火見物に花火を見たいとリクエストをしていたネコ共々家族で出掛けてきた。 片貝花火は世界一大きい四尺玉を打ち上げることで日本三大花火の一つにも数えられとても有名。聞きしに勝る素晴らしい花火だった。

初めて訪れた片貝の町は露天の屋台が並ぶ中、笛や太鼓が鳴り響き玉送りの屋台が町を練り歩き祭り一色に染まり、今まで観てきた花火大会とは雰囲気がまるで違っていた。 それもそのはず、今夜打ち上げられる花火は浅原神社への奉納花火だから町民がこの日のために花火貯金をして「祝還暦」「祝成人」「結婚」「初孫誕生」「厄祓い」「家内安全」「商売繁盛」などのお祝いやお礼、願いを込めて打ち上げる。 打ち上げる直前には奉納する人の名前がアナウンスされ、「○○ちゃん、お誕生おめでとう。ステキな女の子になってね!おじいちゃん、おばあちゃんより」などとコメントまで流れ、そのアナウンスが独特の節回しで何ともユーモラスでほのぼのして味があり、花火の種類もアナウンスされ尺玉が上がる時など「尺です。尺。尺同時打ち上げ〜」てな調子で・・・。

山の中で打ち上げる花火の音は周りに反響し、お腹にもお尻(板の上に座っているから)にもドスンドスンと響いてきて迫力満点。もちろん四尺玉の迫力はすさまじいものがあったが、今夜の圧巻は還暦組の「にれ会」が打ち上げた尺玉の連発花火。これでもかこれでもかと惜しげもなく打ちあがり10分近く打ち上がっていたような感じがした からいったい何発だったのだろう。 一尺玉48000円、二尺玉53万円だそうだ。 金額のことを口にすると無粋になってしまうが、それが惜しげもなく上がっていく。パッと咲いてパッと散る花火に思いの丈を込めて奉納される片貝花火は何とも豪勢で粋。 5000人の町に二日間で5万人が訪れるそうだが、片貝の花火はもう一度見に行きたい!そう思った花火だった。  

 

  

 

 

上下写真共、玉送りの屋台。 自分たちの花火が上がる時は、会場中央のステージまで屋台を引っぱって行き、「上がれ!上がれ!」の掛け声の大合唱。老いも若きもハジケている姿から、自分たちの故郷、まつり、仲間を愛していることがジンジンと伝わってきた。

 

9月8日(木)晴れ 「温泉への旅」

我が家のネコが一年数ヶ月ぶりに3週間の休暇を取り、先月の23日に帰国した。 8月は超忙しいので・・・と言っておいたので、彼女は東京で友人たちに会ったり、富士登山したり、古き日本を訪ねて鎌倉、宮島、京都をゆっくり巡って9月に入ってから新潟に戻ってきた。 戻って来るや否や彼女のリクエストに応えるべく、6月に東北に出掛けた折にとても気に入った乳頭温泉郷の黒湯温泉と初めて訪れる銀山温泉へ二泊三日の温泉旅行に出掛けてきた。 乳頭温泉郷では黒湯と孫六温泉に。なかなか予約が取れない鶴の湯にはミーハー気分で見学だけ。 銀山温泉では宿の中にあるお風呂のハシゴ。 朝に夕に夜に温泉三昧の三日間。 ツルツルピカピカふやけてしまった。

 

    

黒湯温泉は曲がりくねった山道を登り、ブナ林を 通り抜けて乳頭温泉郷の最奥にある秘湯。硫黄の匂いが薄っすらとして乳白色のお湯は今から約337年前に発見され、1970年代は湯治客で賑わっていたらしい。現在は登山客が多いそうだ。

 

 

大正ロマンあふれる銀山温泉は山間の小さな温泉場。船大工が建てた旅館が建ち並び、その壁面は手の凝った小手絵で飾られて情緒豊かな雰囲気を醸し出している。

 

 

 

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