月兎庵田舎暮らし 

 

2011年3月・4月

 

4月30日(土)くもりのち雨 「桜前線到着」

アトリエの冬囲いを外しに滝谷へ。 今の季節は景色の変化が激しい。 一週間前にはまだ咲いていなかった平野部のなだらかな丘の山桜が遠目にもはっきりとピンクに染まり、周りの木々の萌黄色の若葉と相まってのどかな風景が広がっていた。 中々山集落のトンネルを抜けると街道沿いの桜並木が もう満開だった。 

焼峰橋を渡って滝谷集落に入って来ると、農村婦人の家の桜も咲き始めていた。 月兎庵の桜も七部咲き。 昨年の4月28日の日記には三輪ほど咲いたことを記録しているので、今年は雪が多かったわりには開花は早く進んだようだ。 なんだかんだ言っていても自然は帳尻を合せてくるんだと妙に感心してしまった。 しかし、沈丁花だけは雪の多さにへこたれてしまったのか、帳尻を合わすことができずにまだ硬い蕾のまま。 でも、それも間もなくだろう。 庭を一周りすると、雪解けのそばからフキノトウが顔を出し、水芭蕉は先日より大きくなり、シイタケの原木からは食べごろのシイタケが育っていた。 雪の降る冬も大好きだが、様々なものがエネルギッシュに成長し生命力を強く感じる春先もいいなぁと思う。 少し温まった土の上に立っていると、足元から大地のエネルギーが入り、体中に巡ってくるようだ。 

玄関先の冬囲いを外したところで雨が降りだした。 冬囲いの外しも毎年星さんにお願いしていたけど、これからは自分でしなくてはいけなくなった。 無理せず少しづつやればいいやと宿題を残して山を下りた。  

               月兎庵のオオシマザクラ 

   シイタケ

   裏庭のミズバショウ 

        裏庭のふきのとう

 

4月28日(木)くもり 「星空夜話」

今日は写真家の渡部佳則さんのお誘いがあって県立自然科学館へ出掛けてきた。 会場に入って席を探していると奥様のフリーライター石坂千恵美さんに声を掛けられた。 お二人は私にとって縁が深いお二方だ。 

渡部さんとは20数年前に某企業のポスターの仕事でご一緒して以来のお付き合いで、今年で19回目を迎える「にいがた花絵プロジェクト」の記録写真も撮って頂いている。 その渡部さんは日頃は広告写真を撮っているのだがライフワークで星空風景を撮り続け、県内では星の写真家として知られている。 その撮影地が滝谷周辺が多いと聞いた時には驚いた。 それも私が滝谷にアトリエを構える随分前からだと知って尚更に驚いた。 渡部さんも、私が縁もゆかりも無い滝谷へ突然アトリエを移転させたから驚いただろうけど。

奥様の千恵美さんとは渡部さんを通じて知り合い、モダンな雰囲気からは想像できないが生け花の師範のお免状を持ち花を生けることはベテランなので、私が花の仕事を中心に活動していた頃、海外へ花の取材で出掛ける時には私の代役で目の回るような忙しい店舗の花飾りの仕事を引き受けて下さって随分と助けて頂いた。 そして千恵美さんのご親戚が滝谷に住んでおられたと聞いてまたまた驚いた次第。

今日の県立自然科学館でのイベント「星空夜話」は、FMポートが企画してプラネタリウムのリニューアルオープン記念と震災復興チャリティーを兼ねた もの。 渡部さんはFMポートで一番の長寿番組「ファインダーの向こう側」と言う番組を持っているから、今夜はゲスト出演と相成ったそうだ。 今日私が行くことを伝えておいたからなのか、滝谷周辺で撮影された星空風景が多く紹介された。 「あっ、私もここで撮った!撮った!」と見ながら久々に渡部さんの写真を拝見したのだが、やっぱり美しい! 星空を撮る時は今でもフィルムに拘っているとのこと。 私もフィルムで撮ろうかと思うのだけど、やっぱり手軽を選んでしまうなぁ。 

  

 

4月27日(水)晴れ 「コロニー」

このところ引越しの慌しさや疲れでホームページに載せる写真を撮るのが精一杯で、しばらく撮影から遠ざかっていたが、少しづつ落ち着いてきたら再び撮影気力が蘇ってきた。

先日、阿賀野川を渡っている時、一瞬、無数の鳥の群れを偶然見つけた。 それ以来その鳥たちのことが気に掛かっていたのでドライブがてら確認と撮影の為に出掛けた。 対岸の林だと思い車を回しても、対岸には林などなかった。 場所を間違えたのかとしばし考え、よくよく見ると目の前の中洲の木々に沢山の鳥が止まっていた。 そこはアオサギ、シラサギのコロニーだった。 日本で鳥のコロニーを見たのは日御碕のウミネコのコロニー以来。 新潟市に鳥のコロニーがあるなんて、ちょっぴり嬉しくなった。 自然に取り囲まれているってステキだと思う。

 

 

4月24日(日)晴れ 「山菜の季節スタート」

先日の星清さんの訃報の折には、持つものも持たないで着の身着のままで駆けつけてお別れをしたので、今日、改めてお参りする為に滝谷に入った。

日に日に雪も解け、解けた脇から次々とフキノトウが出ていた。 山菜シーズンがスタートした。 山菜が出始めると山を下りた元住民が自分の屋敷跡に出る山菜を摘みに来るから、滝谷はちょっと賑やかになる。 今日も裏の阿部さんがフキノトウを摘みに来ていた。

 

4月21日(木)晴れ 「日本人のモラル」

久々の滝谷入り。 ずいぶんと雪も融け気持ちのいい春の陽気に誘われて奥山の方へ車を走らせると旧東赤谷駅跡地近くに車のシートの様なものが捨てられていた。 滝谷地区に興味を持ってもらえるのは嬉しいことだが、こんなものを捨てに来るのであれば興味など持って欲しくない!と自閉症気味になってしまう。 子供が持てるようなシロモノではないから大の大人が捨てたと思うと尚更腹が立つのと同時に暗澹たる気持ちになってしまう。 もし子供を持つ親だとしたら子供にどんな躾をしているのか詮索したくなる。 子供時代にどんな躾をされたのかとも。 

先日花見に出掛けた折、日曜日なのに子供達が体操着を着て土手を歩いていた。 遠足かなと思ってよく見ると手に手にポリ袋を持ってゴミ拾いをしていたのだ。 どんな気持ちで拾っているのかとあの時思ったが、、、。 子供が拾って大人は捨てる。 これでも秩序を守る国民かなぁ。

震災の折の日本人の行動を外国メディアは、非常時でも忍耐強く秩序を守る国民だと賞賛したらしいが、雪解けの里山(里山ばかりではないが)は空き缶やらゴミが現れて来る。 これらを見せ付けられる限りでは秩序を守る国民とは思えない。 そして震災一ヵ月後には、原発20キロ圏内ではコンビニのATMは壊され、自販機も壊されて無法地帯と化しているらしいことからも、日本人のモラルは確実に低下している。 これって歯止めが利かないこと だろうか。

 

4月21日(木)晴れ 「今日の花を」

集落に入る前に我がホームグランド「カタクリの丘」に寄った。 するとこちらも先日の丘に引けを取らないほど美しくカタクリの花が咲いていた。 しばし寝そべって撮影を楽しんだ後、星さんの家の前を通ったら白と黒の幕が目に飛び込んできた。 まさか!? 

星さんは花が大好きで、生まれ育った滝谷が大好きな人だった。 三春から買ってきた桜の苗を見て、自分にも買って来て欲しいと頼まれた。 それ以来毎年星さんと桜を植える場所を相談しながら滝谷を桜の里にすることを楽しみにしてきた。 滝谷はようやく雪が解けたところで(完全には融けていません)、今は梅の花が七部咲き、コブシの花がほんの少し咲き始め、桜が咲くのは二週間後ぐらい。 とうとう桜を観ないで星清さんは逝ってしまった。 また一人大切な人を見送って、つくづく世の無常を感じ る。 今日のカタクリの花は、星清さんに手向けます。

     

 

4月17日(日)晴れ 「花見」

引越しから今日で丁度一ヶ月が経った。 普段の生活に関わるところはほぼ完璧に片付いた。 後は自分の部屋の整理を残すのみだが雑貨が多くてアッチの荷物をコッチに移動したり、コッチの荷物をアッチに持って行ったり。 ビジュアル的にも美しく尚且つ機能的に片付けたいと思っているから中々やっかいだ。 一ヶ月も片付けに追われていたからここらで一休み。 そこで春の息吹を全身で浴びようと思い立ち、出掛けた。

昨晩までは残雪とブナの芽吹きが楽しめるアル場所を考えていたが、朝起きると気が変わった。 そこは有名になり過ぎてヘタをするとカメラマン達がウジャウジャしているかもしれないからだ。 進路をま逆にとって残雪とブナを求めて走っていると、とある店でカタクリの花が飾られているのが目に止まった。 またしても進路変更。 店の人に聞いて出掛けると斜面いっぱいにカタクリの花が咲き乱れていた。 人もチラホラ。 カメラを持った人も一人二人。 急に自分だけの秘密の花園に思えてきた。 自宅からそう遠くない所にこんなにも素敵な所が在ったなんて!灯台下暗しとはよく言ったものだ。 今年は雪が多く寒い日がいつまでも続いていたぶん、満を持して咲き誇ってい る姿を見るとこちらも気持ちが浮き立ってきた。

自宅前の桜並木もほぼ満開になった。 自宅から歩いて10数分の体育館には福島からの被災者の方々が避難されている。 体育館周辺は新潟市でも一二の桜の名所。 花見を楽しんで少しでも元気をつけて頂けたらと思う。

 

 

4月15日(金)晴れ 「何かしようよ」

自宅前の桜並木は昨日今日の暖かな日差しで一気に花開き、木によっては八部咲きになった。 桜が咲くと福島の桜や桜守り達のことが気に掛かる。 数年前に友人に案内してもらい福島県の桜を訪ねた。 それ以来福島の桜のファンになり毎年撮影に出掛けた。 そして桜守りの知人が沢山できた。 「今年も待っているから」と年賀状を頂いたり、早春には「内の桜が記念切手になるよ」と知らせが入ったり。 今年は桜守りを取材しようと意気込んでいた矢先の震災。 それも一番恐れていた原発事故。  「家族は疎開させたが自分は最後まで残る」「年寄りを抱えているからギリギリまで頑張ります」と言っていた知人達のことを思うと今更ながら胸が痛い上に、中越地震の時はギリギリセーフで安堵したが今回はあの時のことが生かされていなかったと分かったから尚更のショック。 東電や政府の会見を聞けば聞くほど後出しジャンケンのようで腹が立つ。 「まだ隠している事あるんじゃないの?」と疑いたくなる。

風評被害から救おうと福島産の野菜を買いましょう!食べましょう!運動がなされているようだが、オイルショックの時もトイレットペーパーを買いに走らなかったり、米不足の時も買いに走らなかった能天気な自分だが、今回だけは安易に大丈夫だと思えず 、買い物に行っても産地をチェックして買い物をしている自分がいる。 指定されていない野菜は食べ続けなければ人体に影響はないだろうが(指定されているものも含め)、狂牛病の時にはあれほどに神経質だった政府が今回はあっさり安全宣言を出しているから疑いは増すばかりで、福島の農家の方達には申し訳ないが今のところ口にしたいとは思わない。 それ以外で自分にできる応援をしたいと思っている。

引越し整理も徐々に片付き始めたら日増しに自分にできることは何か?と考えるようになった。 そこで今まで何かあるとタッグマッチを組んでファンドレージングをしてきた友人、里婆に連絡を取ると、街頭募金にただ募金するだけじゃ女が廃る!婆が廃る!と意見が合致し、婆二人でまたしてもファンドレージングパティーを開くことにした。 私達の募金集めは楽しくお洒落にがモットーである(バカバカしさも加わるかナ)。 詳細が決まり次第お知らせしますので、是非ご参加ください。 また一緒になって一汗かこうとお思いの向きはご連絡ください。 一緒にやりましょう!!

岩手の友人たちも無事で元気に過ごしていることが分かりホッとした。その一人、被災者でもあるアンベちゃんこと、あんべ光俊が岩手 出身のミュージシャン仲間に声を掛けて19日(火)渋谷でチャリティーコンサートをします。 さすが正義感が強く親分肌でボランティア活動にも熱心なアンベちゃん! フレ〜フレ〜と一緒に声援を送ってください。 お近くの方は是非聞きに行って頂きたい! 詳しくはコチラ

 

街灯りを眺めていると色々思うところがあります。 灯りのこと電気のことを改めて近々に語りたいと思っています。 今日、友人からメールが届きました。内閣府が今後の原子力政策に対する世論の意見を募集中だそうです。 もし、あなたがご意見をお持ちでしたら是非出してください。 コチラです。

 

4月12日(火)快晴 「ようやく春です」

日に日に雪が解け小川の水音が大きくなってきた。 それでも土が見えている所よりも雪が残っている所の方が多く春まだ遠いのかと思っていたら、日当たりの良い所ではミズバショウもキクザキイチゲの花も咲き始めていた。 もちろんフキノトウもあちらこちらで顔を出し、ようやく滝谷にも本格的な春がやって来た。 それにしても4月も半ばというのに残雪がこんなにも残っているのは入村以来始めてかも。

 

 

4月9日(土)雨&くもり 「ながい引越し」

今日、旧自宅の掃除も終え、残っていた荷物を月兎庵に運び込み引越しがようやく完了した。 と言っても新居ではまだ開けていないダンボール箱が積まれ、月兎庵では次々運び込まれた荷物で「あかり」の制作場所が占拠されている状態で・・・トホホホホ。 

この度の引越しでつくづく自分は凝り性だということが分かった。 旧宅のクリーニングは引越し後に業者に任せるつもりだったのにその前に買い手が決まり、内装工事をするとのことで掃除もしないでも良い、ゴミがあればそのままでと言われた。 ハイそうですか。助かった!と思えば楽なのに、「立つ鳥後を濁さず」なんて言う諺を思い出したから、それからがサァー大変! 左手に固形洗濯せっけんを持ち、右手にスポンジたわしを持ち磨いた。 ひと磨きするとピカーンと輝いた。 嬉しくなった楽しくなった。 台所もお風呂もトイレも床も棚も、ありとあらゆる所を磨かないではいられなくなった。 気がつくと手がふにゃふにゃに。 以前テレビ広告でいかにも直ぐに汚れが落ちると宣伝されていた洗剤を使ってレンジを掃除 したら、艶は無くなるし本体を痛めてしまいえらい目に合ったことがある。 それ以来掃除に新洗剤は使わないことにした。 3個198円の固形洗濯せっけんは油汚れもよく落ち、究極のエコ洗剤だと思う。 その証拠に冬場月兎庵を訪問するノネズミは石鹸をかじっているから。(話しがそれちゃった〜)

そして凝り性第二段は片付け。 広い家から狭い家に引っ越すと先ずは収納スペースが格段に減る。 少ない収納スペースを有効に活用しようと思えばその都度パズルをしているようなもので、キッチンでも火まわりの物はレンジまわりに、水まわりの物は流しまわりにと拘りながら片付けると格段に使いやすくなった。 するとカリスマ主婦に挑戦だ〜とばかりにメラメラとファイトが湧き、洗濯室では今までゴチャゴチャに詰め込んでいた洗濯ネットを大中小に区分けまでする始末。 こんな調子が何時まで続くことやら。何時終わるやら。 それにしても写真だけは整理がつかない。 和室の天袋は既にポジでいっぱいになり、我が書斎?は写真が溢れているし・・・。 究極の片付けは捨てることだと分かっていてもどうしても捨てきれないでいる。 引越し祝いに何が欲しい?と時折聞かれるが、今欲しいものは写真を見抜く目が欲しい! もう物はいらない。 完璧に片付いてから次へと考えていたら何時になるか分からないから、これから先はお得意のナガラ族で行くつもり。

     

 

4月5日(火)快晴 「春の小川」

桜の便りが聞かれる季節になると今更ながら滝谷が雪深い山里だと感じる。 それでも4月に入ると早く雪が融けるようにと雪割りを始めるころだが、今年はとにかく雪が多く、ようやく小川の脇の雪が消え始めたばかりで民家の周りはまだ1メートル以上の雪が在る。 この調子でいけば畑仕事ができるのは5月に入ってからになりそうだ。

引越し荷物を運び込んでプラプラと散歩がてらにフキノトウを探したけど、まだ少々しか出ていなかった。 蕗味噌、蕗の佃煮づくりの楽しみはもう暫らくお預けだな。

 

 

3月27日(日)曇りのち晴れ 「雪の重み」

今日は残りの荷物を運び込み、その後一階のひさしまで続いていた雪の雪掻きをした。 すると、真っ暗だった室内にようやく春の日差しが差し込んだ。 今年はほんとうに雪が多かった。

 空き家になっている星さん(村には同じ苗字が多い)の家の屋根を見ると屋根の一部が壊れていた。 北側のダキと呼ばれる部分は雪の溜まり方が半端じゃない。 雪下ろしをしなければ家が壊れるから、住んでいる人達は皆せっせと雪下ろしをする。 しかし、主を失った家は、最近では放っぽかれることが多くなった。 そう、最近では。 10年ほど前までは空き家にしていてもその子供達が雪下ろしの為に帰ってきたり、誰かに頼んだりして家を守ってきた。 雪国の人々は、雪で家がつぶれることを何よりもの恥だと思って暮らしてきた。 だから、しっかり管理するか、管理できない場合は家を取り壊して土に埋めて更地にしてきた。 新建材を使ってない民家を土に埋めるって何と合理的なことかと、この話しを聞いたときには感激した。 土に埋めるというより、土に還す。 美しい日本の伝統のように思えた。 それが法律が変わってから土に戻す事ができなくなった。 一軒あたりの処分費用は200万円もかかるらしい。 費用だけの問題ではない気もする。 どこかで大きく日本人の感覚、資質も変わったようにも思える。 冬の間一・二回雪下ろしに来ていた姿もここ数年見かけなくなった。 その間「痛いよ〜、痛いよ〜」「もう耐えられないよ〜」と悲鳴をあげていたのかと思うとヤルセない。 

 

 

3月26日(金)雪・晴れ・くもり 「猫の手4本get」

朝目覚めると外は横殴りの小雪。 ヒィェ〜最悪! そう思いながら月兎庵へ運び込む荷造りをした。 先日の引越しでは新居に荷物を運び込むだけで精一杯。 今まであかり作りはアトリエと自宅で行なっていたから、いざ引越しとなって改めて荷物を整理してみると、アトリエから持ち込んだ材料やら道具類が押入れいっぱいもの量になっていた。 当然自分独りでは運び込むことは出来ず、そこで猫の手、イヤ、ツレアイと若き建築家のT君の手を借りて荷物を運び込むことにした。

荷物を出す頃になると雪は止み、滝谷に到着すると青空が広がってきた。 やっぱり晴れ女だ〜! 晴れ女はいいけど、月兎庵の入り口を見ると間もなく4月だというのに信じられない光景が・・・。 今年の春はのんびり屋のようだ。

 

 

3月24日(木)晴れのち雪 「卒業式」

案内状が届き、赤谷小学校の卒業式に参列してきた。 参列と言ってもチンと来賓席に座っている訳ではない。 今日は村の写真館のおばちゃん気分だ。 とに角子供たちの良い思い出になればと思ってシャッターチャンスを逃さないようにヤル気で会場に向かった。 新潟市街地は雪のかけらも残っていないが、赤谷ではまだ一面雪の原。 昨晩は新潟市内でも星が見えるほどであったから雪原は放射冷却でキラキラ輝き、子供たちの門出を祝うにふさわしい風景が広がっていた。

昨年の卒業生は一人だったが、今年は4人。 在校生15人中4人が卒業してしまうので6年生を見送る下級生の顔には淋しさが漂っているように思えた。 今年も子供達がお世話になった村人たちが多く参列し、小さな学校は幸せな空気が溢れていた。 シャッターを切っていて、ふと、被災地の子供たちの顔が脳裏を過ぎった。 地震さえ来なければ、今頃は赤谷の子供たちのように晴れがましく卒業証書を持って壇上に緊張した面持ちで上がっていただろうに、と。 赤谷小学校の子供達も被災地の子供達も、何があっても挫けないで逞しく育って欲しい!  

 

 

3月22日(火)晴れ 「少し落ち着きましたが・・・」

引越しして5日が経ち漸く台所周りが片付いて食事が作れるようになったが、前の家の片付けと新居の整理で毎日行ったり来たりの日々を送り、まだまだダンボールに囲まれた生活をしている。 70パーセントは捨てる!と宣言したにも関わらず、やっぱり捨て切れないものが多く、その上「もったいない」根性が働いて、ツレアイが一旦ゴミ袋に捨てた持ち物さえリチェックをし再びダンボールに詰める始末で、その結果まだ四苦八苦状態から抜け出せていない。 とにかく広いところから狭い新居に引っ越すのは大変だ。 それでも二人合わせて本は2000冊処分した。 神田の古本屋にでも持ち込めば何がしかの金額になったであろうに時間が無いから本好きの友人に引き取ってもらったりブックオフに出した。 6人掛けのダイニングテーブルとセカンドソファーは友人宅にお嫁入り。 洋服はキロ20円の古着屋へ。 それでもまだまだ。 もう一度振るいに掛けねばと思っている。

振るいに掛けねばならないのは我が家の不要物だけではない。 街に出ると統一選挙の掲示板が設置されていた。 頭数が多すぎる上に、候補者全員が地域の為にと政を考えているようにはどうしても思えない。 当選した翌日から次の選挙でまたいかに当選するかを考える個人主義者が多いように思えるのだ。 口先だけ上手くて心が無く、頭が悪い政治家なんかいらない! 今日、砂を噛むような思いで掲示板を眺めた。 

 

 

3月18日(金)晴れ 「卒園式」

地震後物流が止まって花が手に入らなくては大変だ!と、月曜日に花市場に出掛けた。 幸い花は順調に入荷していた。 購入した花を新居で管理し、今日、毎年活けている二葉幼稚園の卒園式の花を活けることが出来た。  卒園式は子供達の人生航海の最初の船出だ。 何があっても元気に乗り切って欲しいとの願いを込めて毎年元気の出る黄色をメインカラーに決めている。 日差しの入る温かな講堂では、明日は満開になるだろう。 

 

 

3月18日(金)晴れ 「引越し一夜が明け」

昨日、引越し当日の天気予報は雨か雪。 その上、引越しエリアも計画停電に入っていて、何としたことかと思っていたのだが、当日の天気は晴れ!計画停電も中止になった。 つくづく自分は運が強い上に晴れ女だと確信した。

しかし、この度の東北地方太平洋沖大地震以降は引越し準備作業の手が止まりテレビに釘付け状態が続いたからサァー大変。 当日の朝を向かえても荷造りは終わってない上に、計画停電に引っかかったら大変とばかりに引越し業者の作業の早いこと!早いこと! それはそのはず。 11階まで荷物を上げていたら死んでしまいますからね。 お蔭でスケジュール通りに引越しはできたものの、跡を見るとまるで夜逃げ状態だ。

新潟でも計画停電をすると先日発表があり、直ぐに滝谷に石油ストーブとロウソクとラジオを取りに出掛けた。 月兎庵では停電になっても売るほどロウソクがある。 石油ストーブも4台。 炭は一表。 薪は小屋にわんさか有る。  ラジオは単一乾電池でも単二、単三でもOKなシロモノ。 これらは何も緊急時に備えている訳ではなく日常のものたちだ。 水は沢水の簡易水道、ガスはプロパンだから万が一でもさほど不便は感じなくてすむと思う。 しいて上げればお風呂を自動スイッチで沸くものにしたから停電になれば使えなくなるが、阿部じっちゃんの所は薪で焚いているから貰い風呂をすれば済む。 高度成長前の日本の姿がまだ滝谷にはある。 しっかと大地に足をつけた生活は都会生活に比べると快適性や利便性に劣る部分があるが、少々のことでは揺るがない。 東京の友人たちからの情報や身の回りを見渡せば、いかに我々は砂上の楼閣に暮らしているかがよく分かる。

それにしても昨晩は深々と冷え込んだ。 目が覚めてカーテンを開けると外は一面の銀世界に戻っていた。 着の身着のままで非難し、空腹と寒さに耐えている人達のことを思うと心が痛くなる。 そして恐れていた人災が広がっていることに恐怖感を覚え、後手後手に廻っている東京電力と政府の対応には腹が立つ。 

 

雪化粧をした家並みと佐渡航路の船

3月13日(日)快晴 「無事ですか?」

岩手県、仙台市、福島に住む友人たちとはまだ連絡が取れない。 無事であります様に!とただ祈るだけ。 今何も出来ない自分がもどかしい。 古町に出掛けると救援募金が始まっていた。 せめてもと協力してきた。  

 

信濃川と萬代橋  今は静に流れている信濃川も47年前の新潟地震の折には津波が走ったと言われている。

 

3月11日(金)雪 「地震」

引越しの荷造りをしていると突然グラリ。 アッ!地震!と思った瞬間すぐにキッチンのペンダントライトを見た。 ユラユラと揺れている。 震源は近くなのかと思うほど揺れは長く強く続いた。 直ぐにテレビを点けると暫らくして地震の模様が映し出された。 震源地は宮城県沖とのこと。 新潟市で感じた揺れは中越地震の時より強いと感じた。 津波の様子が凄い! 船が、車が、家が流されている。 フッとこの地震が新潟市で起こっていたらと思った。 新潟島と言われている新潟市の中心部は、海抜0メートルの所が多い。 ゾッとする。

夕方になって雪がいっそう降り出した。 この寒さで被災した方々は大丈夫だろうか? 一夜明け被害が大きくなければと思う。

 

3月11日(金)雪 「愛しいもの」

引越しが迫ってきた。 70パーセントは捨てようと思っても中々。 今のままだと70パーセントの物を持って行くことになりそうな予感。 もうひと頑張りしなきゃと思う日々を過ごしているが、どうしても捨てられない。

25年も使っているYチェアの座面がへたってきたから、紙縄で組まれている座面を組み直してもらおうと家具屋に問い合わせると一脚2万円もするとのこと。 今の私達夫婦には痛い。 ならば暫らくの間日々使っている2脚だけでもギャッベの小さなマットを敷くことを考え、先日新潟市郊外にあるインテリアショップのボー・デコールへ出掛けた。 

私がギャッベに初めて出会ったのは10年近く前になる。 ギャッベはイランの遊牧民シュガイ族が織る手織り絨毯で、精巧に織られている上に一枚として同じものが無く、色もカラフルでコーディネーションも美しく、何よりも織られた図柄が素朴でアート性に富み、作り手の心が伝わってくるほのぼのとした絨毯である。  見るなり一目惚れをしリビングに敷くラグを求めた。 それが縁でその後2004年にギャッベとあかりのコラボレーションの個展を開くことになったのだが、その頃ギャッベについて熱く語られていた選定人の今井正人さんを、先月本屋で何気なく手に取った「チルチンびと」で、相変わらずギャッベの買い付けに年数回イランへ行き、ギャッベの普及に全国を駆け巡り忙しくも充実した日々を送られていることを知った。 先日お店に伺った折も買い付けに出掛けられている時でお会いできなかったのだが、後日「GABBET」と言う本を送ってくださった。

本が届いた時はサンプル本かと思ったのだが、本を開くとそこにはシュガイ族の生活風景や織っている姿、そして様々なギャッベが写っている素敵な本だった。 この本を出版された著者の向村春樹さん(写真)と片岡弘子さん(文)も後書に「織り手であるシュガイ族の真の姿を知る手引書になれば幸いである」と述べられているようにギャッベに魅せられた方たちなのだろう。 自然環境や生活環境が厳しい中で織られたギャッベを絶やすことのないようにと世界中の様々な人々が応援し、売り上げの一部はシュガイ族を支援する為に送られているとか。

先日買い求めた小さなギャッベ。この本。私の愛しいものがまた増えた。 益々70パーセントの壁は高くなったが、考えてみれば愛しいものに囲まれて暮らせるのだから幸せなことだと思う。

 

 

3月6日(日)くもりのち雨 「百万遍」

引越し準備も順調に進んでいるところで、川崎市にお住まいの阿部藤子さん(滝谷新田出身)からお誘いを頂き、自分へのご褒美として滝谷新田の「百万遍」へ出掛けてきた。 新田の(この地域では滝谷新田のことを略して新田と言う)百万遍へは以前から訪ねたいと思いつつチャンスを逃してばかりだった。

午前11時。 村の集会場へ到着すると区長の佐久間 新さんから挨拶があり、村の女衆たちの百万遍念仏が始まった。 様々な仏様に念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるとの言葉が21章まであり、各章の終りに「ナンマイダ」「ナンマイダ」と太鼓と鉦の音に合わせて唱えるのだが誠にリズミカルで、この念仏は弔事の時と同じと言うから葬儀も湿っぽくなくっていいなぁと思った。 「百万遍」を辞書で調べると弥陀の名号を百万回唱えることと書いてあった。 今日の念仏は何回唱えたのかと、頂いた念仏集で回数を数えたら99回だった。 99回ナンマイダを唱え終えるとお昼になった。 今朝伺いたい旨を区長さんにお伝えしたばかりなのにお昼を準備していて下さって恐縮。 いいえ、ナンマンダ! 

 

お昼が終り、1時からは皆輪になって念仏を唱えながら大数珠を回し、そのうち念仏踊りが始まった。 なんか楽しそうな踊り。 青いハッピを着て先頭で踊っているのは90歳のおばあちゃんと言うから驚きだ。 

 

念仏踊りが終わると、今度は綱引きならぬ数珠引き。 代々引き継がれた桐で作られた数珠は、村人たちの手油でピカピカ。 皆さん子供の頃に帰った様に無邪気で楽しそう。 これは百万遍行事の一環なのかどうかは聞き忘れたが、上と下に分かれて、どちらが勝っても豊作でしょう。

 

数珠引きが終わると次は太鼓と鉦を打ち鳴らし、大数珠を持って村を練り歩く。 以前は太鼓を担ぎ、その横で二人の打ち手が太鼓を叩いて歩いたそうだが、今では若い人が少なくなって担ぐのを止め、台車に乗せて廻るようにしたとのこと。 伝統とは昔のままを引き継ぐのではなく時代時代に合わせて変化しながら継承することだと聞いたことがあるが、正に新田も同様で、村人のしなやかさに心がホッコリ。    

 

念仏に来ることが出来なかった人は玄関に出て大数珠と弥陀が描かれた掛け軸で体調の悪い箇所を撫でられてご利益を受けていた。 しかし、ご利益を受ける人も高齢化の為に年々出て来なくなったとのこと。 

 

百万遍行列は村の上、下の外れに来ると、そこで輪になり念仏を唱えて終了する。

 

滝谷新田の百万遍は700年も続いている伝統行事とのこと。 百万遍を初めて見て、皆さんの笑顔や優しさに触れることができ、いい一日を過ごした。 地域に根ざしている祭事って、改めてシミジミと良いなぁと感じた。

近年日本各地で観光イベントが盛んに行なわれ注目されていて新発田市も同様だが、この様な伝統行事の火が消えることの無いようにと祈りたい。 700年も続いている伝統行事なのに新発田市のホームページに紹介されていないのは何故なのだろう。 残念だ!

 

3月2日(水)くもり時々雪 「なごり雪」

先週のポカポカ陽気が嘘みたいに、今日は冷え込み時折小雪が舞ってきた。 久々にシャッターを切ったら気分がスッキリ。 何たって、連日引越しの荷造りをしては少しづつ運び込み、ダンボールから出してその場で定位置に片付けているから少々ウンザリしていた。 一気に引越し業者に任せてしまえばいいようなものだが、大切なものは自分で運びたいし、引越しして何日もダンボールに囲まれて暮らすのも嫌だから。

昨日は建具屋さんに作り付けの食器棚を新居に合わせて高さを5センチ低くしてもらう為に修理に出したから、ようやく荷造りしたダンボールを積み上げるスペースができ、引越し準備本番に入った感じだ。 とにかく、今持っている物の70%は捨てるゾ!と自分に言い聞かせているのだが・・・。 今週は連日雪マークが出ている。 気分転換に一日も早く撮影に出かけたいなぁ。 

 

 

 

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